稲荷神社の狐をよくみてみると鍵をくわえているものがあります。この鍵は一体なにを表していて、いつ頃からこうなったのでしょうか。
稲荷神社は現在では全国に約4万ほどあります。総本宮は奈良伏見の伏見稲荷大社です。飛鳥時代に秦氏一族が五穀豊穣を祈願して伊奈利山にスサノオノミコトの子である宇迦之御魂神を主祭神としてまつったのが最初です。この稲荷の使いは狐とされています。稲荷は当初五穀豊穣の神とされていたので狐は口に稲穂をくわえていました。しかしその後商売繁盛や家内安全といった信仰が加わるにつれてそれにそくした宝珠や宝巻、宝鑰(鍵)をくわえる狐が登場するようになったそうです。これらのモチーフは宝尽くしに出てくる文様です。
宝尽くしは中国の「八宝」思想に由来しています。これは室町時代に日本風にアレンジされます。おめでたいものとして食器や衣類などに描かれるようになり、それが稲荷神社にも使われるようになったのだと推測できます。
さて、当初稲穂を加えていたのがどうして変わっていったのでしょう。室町時代に宝物を加え出した狐が徐々に増えていきます。関西地方のものは特にくわえているものが多いです。それに対して関東地方では江戸時代のある時期以降作られる狐が宝鑰を抱えている、抱いているものが増えたそうです。そして中間地点での愛知の稲荷神社では狐は宝鑰をくわえても抱いてもいないそうですが、燈籠の浮き彫りに宝づくしが描かれているそうです。
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